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崇神天皇が大和の疫病を鎮めるため「墨坂神」を祀ったとされる

古事記ゆかりの地

記紀では、崇神天皇が即位して9年、大和国内には疫病が蔓延し、多くの人々が死に絶えようとしていた事を、大いに歎き悲しんだとあります。同9年3月15日のある夜には、天皇の夢のなかに神人が現われて、「赤盾八枚・赤矛八竿(さお)を以て、墨坂神(すみさかのかみ)を祠れ。亦(また)黒盾八枚・黒矛八竿を以て、大坂神(おおさかのかみ)を祠れ。」と告げたのです。天皇は、さっそく墨坂神と大坂神に盾と矛を奉献(貢物)し、祀ったところ、疫病や災いが無くなり国内がやすらかになりました。

その後、天皇は近畿とその周辺までその勢力範囲を広げ国を治めることとなったので大和朝廷を確立した最初の天皇と考えられ、御肇国天皇(ハツクニシラススメラミコト)と褒め称えられることもなったのです。

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墨坂神社の秋の大祭では、かつて上小野榛原天の森に鎮座しておられたのを文安6年(1449年)9月28日に現在の所に遷座した事から、お旅所から現在の社地までの約1kmの道のりを、猿田彦を先頭に武者、赤盾・赤矛・太刀などを持ち還幸の神輿行列が華やかに神社に渡ります。

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