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日本書紀の、神武天皇即位4年春の詔に「乃立霊畤於鳥見山中、其地号曰上小野榛原・下小野榛原 用祭皇祖天神焉」の記載があり、神武天皇みずから鳥見山中に霊畤(マツリノニワ)を築かれ、皇祖天神を祭祀し、「この地を上小野榛原(カミツオノハリハラ)、下小野榛原(シモツオノハリハラ)という」とあります。その上小野榛原が当地墨坂の地であり、現在は宇陀市榛原西峠地区内にあります。

また、同紀の神武天皇即位前紀の条には天皇軍東征のみぎり、大和菟田の高倉山から国見をすると、賊軍が天皇軍を防ごうと墨坂に”いこり炭”(山焼きの意味)をもって防戦したため、菟田野川の水をもっていこり炭を消火し、敵の不意を打って勝利した。墨坂の名はこの故事にちなむと、その名の由来が記されています。

天武天皇白鳳元年(673年)には大來皇女を使者として金幣帛一対を奉幣されたとも伝わっています。

墨坂神社は当時から祀られていた神々を文安6年(1449年)9月28日に上榛原天の森より下榛原天野(現在の宇陀市榛原萩原天野)に遷座されたものです。
この天野の地は天富命の蹄跡とも伝えられ、明治初期までは神仏混合により偏照山薬王院天野寺として祀られており、六社権現または天野宮とも称されていました。

御神徳 日本最古の健康の神

古事記・日本書記には、崇神天皇9年春の事として国中に疫病が蔓延し、人民失せて尽きんとするに至り天皇はいたく悩まれていた時、或る夜神人が天皇の夢の中に立ち、「赤盾八枚・赤鉾八竿をもって墨坂の神を祀り、黒盾八枚・黒鉾八竿をもって大坂の神を祀れ」とのお告げがあり、天皇はその教えに従って祀られたところ、たちどころに疫病は平癒し天下安泰となったと伝えられています。
この墨坂の神は当神社の御祭神で、大坂の神は大坂山口神社(香芝市逢坂)の御祭神ですが、いづれも古代大和への東西の重要な入り口として疫病の侵入などを防ぐ神々であることから、当社は厄除け・地鎮・方位除け・病気平癒・交通安全などを祈願する参拝者がたくさんおられます。