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日本最古の健康の神を祀る神社

墨坂神社について

墨坂神社は猛威を振るった大和のはやり病に心を痛めた第10代・崇神天皇が、この疫病を鎮めるため墨坂の神と逢坂の神を祀り創建されました。この記述は古事記や日本書紀に記されています。墨坂神社は日本最古の健康の神を祀るとも言われる由緒深い神社で、氏子の皆様はもとより皆様の祟敬をあつめてまいりました。

御祭神

【主祭神】
神武天皇御東征のみぎり墨坂の地ですでに祭祀されておりました神々、
天御中主神(アメノミナカヌシノカミ) 天地宇宙創造の神
高皇産霊神(タカムスビノカミ) 男女産霊の神、生成力を持たれる神 
神皇産霊神(カンムスビノカミ) 生成力を我々人間の形とした御祖神(みおや) 
伊邪那岐神(イザナギノカミ) 国生みと神生みの男神 
伊邪那美神(イザナミノカミ)天津神の命により創造活動の殆どを司り、冥界を司る女神 
大物主神(オオモノヌシノカミ)五穀豊穣厄除け国の守護神である 
の六神を総称して墨坂大神(スミサカノオオカミ・病気平癒 健康の神)と申し上げます。

【境内社】
[龍王宮]
祭神 : 罔象女神(ミツハノメノカミ) 水の神

[大山祇神社]
祭神 : 大山祇神(オオヤマヅミノカミ) 山の神

[祓戸の神]
祭神 : 祓戸の神(ハライドノカミ)

天神社、市岐島神社、菅原道真神社、恵比須神社、金刀比羅神社、愛宕神社、
稲荷神社、八幡神社 の11社

御由緒

日本書紀の、神武天皇即位4年春の詔に「乃立霊畤於鳥見山中、其地号曰上小野榛原・下小野榛原 用祭皇祖天神焉」の記載があり、神武天皇みずから鳥見山中に霊畤(マツリノニワ)を築かれ、皇祖天神を祭祀し、「この地を上小野榛原(カミツオノハリハラ)、下小野榛原(シモツオノハリハラ)という」とあります。その上小野榛原が当地墨坂の地であり、現在は宇陀市榛原西峠地区内にあります。

また、同紀の神武天皇即位前紀の条には天皇軍東征のみぎり、大和菟田の高倉山から国見をすると、賊軍が天皇軍を防ごうと墨坂に”いこり炭”(山焼きの意味)をもって防戦したため、菟田野川の水をもっていこり炭を消火し、敵の不意を打って勝利した。墨坂の名はこの故事にちなむと、その名の由来が記されています。


天武天皇白鳳元年(673年)には大來皇女を使者として金幣帛一対を奉幣されたとも伝わっています。

墨坂神社は当時から祀られていた神々を文安6年(1449年)9月28日に上榛原天の森より下榛原天野(現在の宇陀市榛原萩原天野)に遷座されたものです。
この天野の地は天富命の蹄跡とも伝えられ、明治初期までは神仏混合により偏照山薬王院天野寺として祀られており、六社権現または天野宮とも称されていました。

御神徳

古事記・日本書記には、崇神天皇9年春の事として国中に疫病が蔓延し、人民失せて尽きんとするに至り天皇はいたく悩まれていた時、或る夜神人が天皇の夢の中に立ち、「赤盾八枚・赤鉾八竿をもって墨坂の神を祀り、黒盾八枚・黒鉾八竿をもって大坂の神を祀れ」とのお告げがあり、天皇はその教えに従って祀られたところ、たちどころに疫病は平癒し天下安泰となったと伝えられています。

この墨坂の神は当神社の御祭神で、大坂の神は大坂山口神社(香芝市逢坂)の御祭神ですが、いづれも古代大和への東西の重要な入り口として疫病の侵入などを防ぐ神々であることから、当社は厄除け・地鎮・方位除け・病気平癒・交通安全などを祈願する参拝者がたくさんおられます。
水の神が宿る「波動水」
龍王宮横に湧き出でる「波動水」は「名水・やまとの水」にも認定された墨坂神社の御神水です。

春日移しの本殿 春日造・檜皮葺

本殿 檜皮葺
奈良春日大社の文久式年造替時の社殿を元治元年(1864年)に拝領の上建造されました。当社本殿はその時の春日大社楼門の材として使用されていたものです。

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